ジェボンズが「効用と利己心の力学」として、力学の体系をモデルにして経済学を打ち立てようとしたことを、NGRの引用ではじめて知った。
一般均衡理論の図解に文字の説明がなければ、それが果たして経済を扱ったものなのか、それとも力学を扱ったものなのか見分けがつかない。
なるほど、そういうことだったのか。
だから、そっくりなのは当然だったのだ。
力学は可逆的な体系である。
力学においては、運動前後の質的変化については問われない。運動が環境に与えるどのような変化も別段問われない。
『徹底討論 グローバリゼーション 賛成/反対』でスーザン・ジョージとマーティン・ウルフの討論を読んだ際、マーティン・ウルフが環境の不可逆性について、酸性雨と資源枯渇を例に出し、「ヨーロッパの森を破壊すると警告された酸性雨は、現在では問題にもなっていません」と、あまりに浅薄な考えを披瀝したことを思い出す。
では、酸性雨の結果、死滅したスウェーデンの湖の魚はいったいいつ回復したというのだろうか?
また、採掘・精製して使用され散逸した資源はいかなる方法で元通りになったというのだろうか?地球環境の自己組織化過程のどこにも“元通り”になるメカニズムなどなく、放っておいても低エントロピー化する物質は限られている。
過剰に取水した地下水が、時を経て回復するのとは別次元である。
泉から湧き出る水のごとく純度の高い資源が湧いてくることがあれば、それは魔術であろう。
いま続けていられることと、それが持続的であるかどうかはまったくの別問題であるが、マーティン・ウルフの論は、30年以上前にNGRが批判した“標準的経済学者”の考え方に符合する。
日本でも同じことである。
標準的経済学者には退場していただこう。
問題はそれをどうやって成し遂げるか。