2009年01月06日

2009年の絶望と希望

守谷に引っ越して6ヶ月、有機農業のアルバイトを始めて4ヶ月、ファーマーズマーケットの呼びかけを始めて2ヶ月が経過した。
2009年は自分にとって勝負の年。頑張る、という言葉はあまり好きではないので他の言葉で言い換えると、「心を込めて取り組みます」と年始に宣言する。

さて、
オバマ大統領の誕生は、ブッシュ政権2期の反動によるものだが、ぼくはまったく期待していない。もしかすると、グリーン・ニューディール政策からは一定の成果が得られよう。しかし、アメリカが世界からの搾取なしに維持できるとはぼくには到底考えられない。アメリカにはいくつもの姿がある。そのうちの、もっとも醜い姿を直視することに、あのお人好しでご都合主義のアメリカの大衆が耐えられるとは到底思えない。アメリカは他国を律し、リードし、貢献してきた誇るべき国でありつづけなければならない。その真逆の姿がアメリカの真の姿の一つであるから。

またブッシュのパパの時代のスヌヌ大統領補佐官は「アメリカ人にとってエネルギー使用を抑制し、二酸化炭素排出を抑えるということはアメリカン・ウェイ・オブ・ライフやアメリカン・ドリームそのものを否定することを意味する。これはアメリカ人がアメリカ人でなくなることに等しい」と発言していた。現状の認識としては正しい。アメリカの経済・社会の構造はエネルギー多消費によらなければ成立しえない、最も化石燃焼社会に最適化された形、である。

また、オバマをありがたく拝むほど、呑気にはなれない。
アメリカ人が犠牲になるのは、自分たちの責任であろう。しかし、アメリカが踏みつけてきた人たちにアメリカ人が責任を果たそうと、いったいどれだけ真剣に考えているのか。

先の恐慌は、カンフル剤の注射のような策を繰り返すことにより、時折小康状態に回復しながら漸次悪化をたどった。
おそらく今回も。

100年に一度の危機と言われるが、ぼくは『お金崩壊』著者の青木秀和さんと同様、
”300百年に一度”の、近現代文明にとって最大の危機(であり機会)と言える状況にある、と考える。

青木さんは言う。「問われているのは中央銀行システムである」と。

ぼくたちは99年のNHK-BS1で放送された「エンデの遺言〜根本からお金を問う」により、利子問題、ひいては中央銀行金融システムが経済成長を強いていることを知り、啓発と地域(代替)通貨の普及にとりくんだ。しかし、経済拡大過程において、啓発以上の効果はさほど持ち得なかった。一部、地道に成果を上げた例もあったが。

経済・金融危機、
石油・資源ピーク
人間の”過剰に刺激されてつくり出された”社会的欲求と、それを満たす本当はなくてもいい産業、(社会的限界)
フロンティアの枯渇(新大陸も、新たな第三世界ももはやない)
廃棄場所の枯渇
新たな価値を生み出す(はずの)科学技術(が、新たな価値よりも解決困難で後にしか原因が特定できない問題をつくり出す状態)

こうした時代の限界にいる。

成長による新たな市場が生まれないのに、人減らしが続く。
結局、産業の限界生産性など、ある意味うそっぱちで、きちんと外部不経済を算定して価格に上乗せし、エコロジー税制改革を行い、グッズ減税・バッズ課税を布き、”雇用の総量に経済・社会的限界”があることを認めた上での総改革を行うこと。

”改革”と称して断行された人々から裕福な者への所得移転。
もし、本当に”改革”したいのなら、セーフティ・ネットやより厳密な意味での”公正・平等”の先んじた実現なしに労働市場の改革など絶対にやってはいけなかった。そこに奴らの本音が腐臭とともに見えてしまう。目をつぶっても腐臭が臭ってくるんだぜ。嗅覚の鋭い人ならすぐわかるんだ。

しかし、”成長”信仰は未だ根強い。

ゲゼル研のお二人、青木さんと森野さんの言葉を組み合わせてこれに応えてみる。

青木さん曰く、「”借金”とは”殖やして”、”返す”こと」
森野さん曰く、「なぜGDPの成長に(経営者、経済学者や政治家が)拘らざるをえないのか?それは経済活動のスタートを借金で始めているから」
※「  」内は、08年12月のゲゼル研でのお二人の発言から。解釈に間違いがある場合の責任は小林にあります。

都留重人氏も氏が書いた経済学の入門書で「成長を続けないと資本主義は壊れてしまう」という主旨の説明をしていた。
そのとおりだが、結局都留は、踏み込み切れなかった。

貿易が縮小した場合、内需産業を破壊してしまった日本の近未来は暗い。生活に必要なモノの生産は、”付加価値が低い”ゆえ海外、特に中国に出されてしまった。経済活動のもつ福祉効果が発揮されない。すぐに内需産業を復活させることも困難だろう。
雇用・収入の現象は次なる投資の縮小、そのスパイラルにつながっていく。放っておけば。
しかし、資本主義である以上、こうした状況の繰り返しを受け入れなければならない。約束された危機なのだから。

リセットは光明のある再生につながるか?
それはわからない。地域に光明をつくっていける人がいるかいないかで今後10年くらいの地域社会の盛衰が決まるだろう。

ぼくが引っ越した守谷は?
これまでのところ、極めて質的に貧しい開発が行われてきた。この状況は、地域の政治家やキーパーソンに、ヨーロッパの環境調和型の開発や、世界の各地で誕生しているコンパクト・シティ化の流れ、エコ・ビレッジ型開発などの知恵を導入できる人が皆無だったのではないかと疑わせる。しかし、雑木林や田畑を切り開いて無理のある開発をした他のTX沿線の駅周辺よりは比較にならないくらいまともである。ゆえにぼくは守谷を選んだ。

社民主義知識人には、これまでの日本が、戦後の日本人の努力+アメリカとの同盟による恩恵、だけでなく、途上国と未来世代を踏みつけながらの発展である、既得権であることをもっとはっきり認識してもらいたい。
縮小のみが残されている。しかし縮小=衰亡にしないためにどうするかを問わなければならない。

成長の突端が壊れた故、分散が有利になってくるとぼくは確信している。
しかも、一次産業周辺に復活と雇用機会と、質的な豊かさ、幸福の萌芽をぼくは見ている。
だからとてもわくわくしている。この楽しさを始めるのは今しかない。多くの人と力と知恵を合わせて、熟議をしながら進んでいきたい。それがぼくの希望。

年末、年越し派遣村に差し入れに行った。せっかく有機野菜を育てているんだから。
連帯だ。
でも思いは複雑。どこか農業を今もって軽視している印象を受ける。
はっきり言って、本当は要らない産業を増殖させすぎた。それらの産業が雇用の受け入れ場になるとは、欲を制限しなければならなくなる今後において、考えにくい。
やはり一次産業とその周辺、なんだと思う。

エコロジー税制改革でそうした流れを後押しするのが政治の責任だと思うが。賃金への課税を減らすかやめ、資源の消費(浪費)に課税し、とりわけ外部不経済に強く課税して問題の多い産業の転換をはかるべし。

さぁ、はじめるなら、まだ身動きのとれる今年がラストチャンスかもしれないのだよ。
政治にはいったん挫折した。自分のナイーブさにほとほと嫌になった。そして、都会で一人で政治活動を広げていくことは、自分にはできなかった。地に足のついた活動を展開する。地域の人々の中に入る。共に生きる。どぶさらいを一緒にする。そうして築き上げながら、もしかしたら再び政治に挑むかも知れない。いまはまったく考えていない。

まずは地域で食を。農業を。
次いで過疎・中山間・限界集落周辺からエネルギー源・材木としての木材を住宅地域で購入し、当該地域の崩壊の抑止から発展へ。

引っ越してしまったが、大手メディアがごくわずかしか、しかもうがった見方でしか伝えないガザの状況が気になる。
自分のやっていることがただ箱庭づくりに精を出しているだけ、のように、時に、思えてしまう。自分だけの幸せに浸れる感性はもはや自分にはないことを思い知らされてしまう。
世界との連帯も、これからも忘れたくない。それは決して強欲なわけではないと思う。

血の池で泳ぎ続けてやろうではないか。蜘蛛の糸にすがる気はないし、貧困を対象にした言論で儲けておいて天上から糸を垂らせるほど腐れないな。あの人たちとは一緒に泳ぐのも嫌だから、血の池に来ないでください、と言っておこう。

日本の政治状況も気になるが。
政界再編があったとしても、EU諸国で緑の党が果たしたような役割を担う政治家個人も党・組織も日本にはないことが先の閉塞感をいっそう強くする。先が見えている。

さぁ、激動の2009年が始まりました!!
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posted by ichirok at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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